本編とデイドリームアワーに関するすべてのネタバレが含まれます。
また、ビーエル苦手な方、または知らない方は読むのをやめておいてくださいね。
ライオスと翼獅子はリバ
ライオスと翼獅子(≒悪魔)はリバだと思うんですが、ライオスの本当の夢が魔物に食べられることだったので、結局本質的にライオスは受けなんだろうなとおもいました。
自分の中のフジョシの教科書として食べられたいやつは受けたいだと思っているので、食べたいやつは攻めだし、だからライオスのことはずっと好きなタイプの攻めだな~と感じていた(だいすきだからたべたい!の発想)んだけど、根っこが受けで大変混乱したんですね。本編後に急にひっくり返されたわけなので……今は受け止められています。 ?
自身が食われることを循環の流れの一つとして良しとする翼獅子も、性質としては相当近いんだけど、翼獅子はどちらかというと「最後に俺が勝つからだ。勝つから楽しーんだ」っていう仙道彰理論なんですね。翼獅子としては他者を食わせて養い、そして最後に自分がご馳走をたらふく食べる、というのが根源的な欲だから、立ち位置の基本は食べる側なんですよ。
ライオスは魔物が好きだから食べたい気持ちが湧いてきたけど、最終的には自分が食べられたい、だからやっぱりここは似て非なる欲求なんだろうな。鏡の向こう。でも本来であれば対立する欲同士ではないと思うから世界の流れがああだっただけなのだな〜。数ある世界のどこかにはライオスと翼獅子が対立せず寄り添う(またはライオスが自分を食べさせる)世界もあるのだとおもう。直前で、ずっと満腹であることを苦痛だと文字通り死ぬほど感じた場面であるから……タイミングが悪かったね。本当にそう?
飯を食う漫画の見落とされがちな命題
わたしは食の喜びを知らない存在が、食の喜びに目覚める描写が大好きだし尊いと思って生きているけど、ダンジョン飯に限ってはそれがさまざまな事件や騒動の大きな原因になっていったのだな〜と思うと感慨深い。ダン飯出る前から九井先生の描く世界のファンだったけど、俗に言う「いい話」のめでたしめでたしの後のことをご都合主義以外の観点でとらえる人なんだな〜というのはあった(そこやっちゃうの!?みたいな感覚を持つというか、そこ触らなければ平和じゃん!なところを敢えてピックアップされるというか)ので、悪魔がおいしいものを知った後の話をスタートさせるのはそれは……そんな〜 そんな…… そして世界は救われたが悪魔は満たされたわけではない(かと言って悪魔が不幸になったとも言い切れず、真に不幸なのは誰か?は人間側に手渡された)というのがやっぱり話がうまいよなあ。わたしはずっとマルシルの夢や恐怖は……どうなるんや!!というのを抱えている。イーン。ここをきれいに大円団にもっていかないの、信頼が置けるんだなあ……グエー。
お前たちは飢えるために生きているのだな、というのも、「美味しい」と言う感情が好きで、美味しいご飯をみんなで食べるのが好きな人間からすると、ものすっごい皮肉でウワーー!ってなったんだよね。これもその「そこに触れちゃうんだ!?」っていう……ところ。おいしいご飯を題材にする上で、飢えというのは言わば対極に位置するものだけど、それがあるから美味しいという感覚が生まれるので…… 必要悪というのはまた違うのかもしれないけど、美味しいという喜びを得るために必要なのが飢え(お腹が空くという状態)だから、美味しい思いをするためには飢えることが必要……なんだなあ。ずっと満たされた世界、飢えることのない世界、を否定したライオスたちに対して、悪魔側したらそりゃそう見えるよな〜という一言……おそろしい言葉だよ。すべてのご飯がおいしい漫画の、言わないでいたことだもんな。だってご飯が美味しい漫画って、だいたいは空腹はよくないこととしているだろうし、美味しいご飯を食べることがその漫画にとっての正義だから。スーパーヒーローがかっこよく存在するのに手っ取り早いのはものすごく悪いヴィランが存在するという……そういう感覚。空腹をよくないものと仮定しつつも、その実はその空腹によって潤いを与えられているという命題を……言っちゃうんだ!?って……なるよ。しびれる。食が好きな人からは出にくい視点な気はする。
目的と方法
こんな真面目な話をしようと思っていたわけではないんだって……。
でもライオスの欲求の根源は魔物に対する愛だから、それって……食べたいの欲求がつよいわけではないんだよな。「魔物を愛する(または愛される)」方法のひとつとして「食べる」があるから、ライオスにとっては方法のひとつなのだとおもう。食欲がメインじゃなく、魔物愛がメイン。だからこそライオスの本当の願いは、魔物愛ゆえの食べられたいなのだろうな。
逆に言うと欲獅子は「食べたい」欲求がメインだから、他者をかわいがったり養ったりすること、つまり「他者を愛する」ことこそが、食べるための工程のひとつであり、食べるための方法のうちの一つなんだな。そりゃライオスとは似て非なる立場になるよなあ。
愛する(愛される)ための方法として食べるがあるライオスと、食べるための方法として愛する(愛される)がある翼獅子という構図。
悪魔からの総評
ともかくも翼獅子は食欲から解放されたし、しかもライオスは翼獅子に対して哀れみすら持っていたわけだけど、その哀れみを自分に返されるとは思っていなかったのかなあ。ライオスとしては、元々持っていなかった欲(おいしいものをたべたい)を知ってしまったことを悲苦しみだと感じたのだろうけど、ほとんどの命がその欲(引いては、苦しみ)を最初から搭載している生き物たち(そして満たされた世界を否定までした!)は、やっぱり翼獅子にとっては「飢えるために生きている」という総評になるんだろうな。
ライオスの魔物愛も、欲獅子の食欲も、どちらもそれぞれ自身が生きるためには一切必要のないこと(要するに趣味)である、というのもまた似た根源を持つ者たる所以なのかもしれない。生きるために不要だけど、それがあると豊かになるもの、というのがそれぞれの行動の根源にあったのだな。そういう意味では良い対立関係だったのか。
悪魔としては地上に生きる命たちがかわいいし、おいしいから、養ってやりたいとおもうには充分な素質があって……だから満たしてやるってなったわけで。自分たちのお腹も膨れるし、そのついでだから、そういう意味では「騙してやる」というよりは本当に「幸せにしてやりたい」(自分たちのついでに)はあるんだろうな。感情としては重くないけど、そこに嘘はなかった。でも結局、生き物は満たされているだけではダメで、感情の落差が旨みにつながる話もあったから、きっと翼獅子の作り出そうとした世界はゆくゆくは地獄みたいになったろうなとは思う。うーん、スパダリに見せかけた悪魔。
でも得てして悪魔ってそういうものか……。ヒト側からつけた勝手な呼び名だけど、わたしはヒトなのでなるほどなあとなってしまうな。言い得て妙だ、悪魔。そしてこのヒト側からの勝手な評価が悪になるだけで、本質的に悪かというと、多分そうではないのだろうな……と感じさせるところも本当に漫画がうまいよなあ。結局は魔力の根源ってだけだもんね。ヒトと意思疎通をとりやすくした形が悪魔になっただけで……だから結局ヒトが魔力を利用しようとしなければ生まれなかった存在で、つまるところ……ヒトがいなければさあ……っていう話……。ヴゥー! 皮肉をえがくのがうますぎる。
マルシルの未来のこと
今生きている迷宮の主(過去形含む)がエルフしかいないのもすごくいいんだよな。いいんだよな……。マルシル……どうしたらええんや。解決してないんだよぉ〜〜。そのための研究をしているにしても、あっという間にチルチャックは寿命がくるんだよな。というかさりげなく「俺が死んだら」とか言うのやめなねほんとうにね。でもチルチャックにとってはそれが普通の感覚なんだろうな~~マルシル~~~~~~。さらりとライオス王の死後の話も漫画で出されていたけどオーーーーーーーイ 死んどる~~~~オーーーーーーーイ!! マルシル〜!!
横道に逸れ続けてしまう。ダン飯、マルシルの未来のことを考えるとくるしみがすごい。とは言ってもきっとある程度どのエルフもどのハーフエルフも通ってきた道で、マルシルはまだハーフエルフとしては若いから、きっともっと長生きしたら考え方も変わるだろうし受け入れていくのだろうなとも思うけど……イヤァ~~!? だとしてもつらいことはすぐ近い未来で起きるんだよなあ~~!? マルシル……。
結論
横道に逸れ続けてしまう(2回目)この感想、そもそもライオスと翼獅子のリバの話だったの嫌すぎるな。ごめんね……。でも読了してからずっとそこが気になっていて……。もう結論を言ってしまうと、根源的には受けになりたい物理的攻め(そして周りからも攻めだとしか思われていない)のライオスと、根源的には攻めだし自分が最終的には攻めに落ち着くと思っていたけど物理的に受けになってしまった翼獅子だなって。カスみたいな結論で終わるな……。終わろう……。ああでも自分が最終的に食べられたかったことをちょっと言い淀むライオスはすごくよかったです。Sexy……
自分の思想(食べたいは攻め、食べられたいは受け)において一番の被害者は実はミスルン隊長なんですね。流れ弾すぎる。だって……食べ残されたことを本当は悲しく思っていた、食べられたかった、ミスルン隊長って……つまり…………解散!!!!